なゆーのテキトーブログ

普段はTwitter(@oxygen60499747)より感想兼考察を投稿していますが140字では抑えきれなかったリアルでは言えないアニメへの想いをひたすら綴るブログとなっております。自分が感じた事を上手く言語化出来るように善処します。

『世にも奇妙な物語』 ~”22 夏の特別編~ 感想をつらつらと。

オトドケモノ

近年希に見るつまらなさ。

主人公夫婦側の思考を極端(=馬鹿)にする事で話を進める典型的な駄作。

せっかく良い食材を下手な料理人が調理した故に不味くなってしまったみたいな感じ。

アプリによって彼等夫婦の物理的な距離感が縮まれたのは詰まる所、金があったから。

なのにあの夫婦は愛が本質的に深まったと勘違い。金で愛を買ったに過ぎないのに。

そして金が尽きれば、愛も尽きる。

そりゃそうなるよなと。

あの閉じ込められた変な世界も、その世界自体に物語としての意味は無い。

ただ彼等の愛を冷めさせる為の舞台装置。

結局あの世界は何?あの配達員は何者?といった疑問を回収しきれていない。

そして夫の復讐が叶う意味しかないラスト。お前らの愛憎なんてどうでもいい。

アプリが有ろうと無かろうとあの夫婦は別れたに違いない。

そう感じてしまう程、「オトドケモノ」という不思議要素が置き去りになってた。

 

何だかんだ銀座

なるほどなぁ........

会社の中では、「従業員」と「社長」の上下関係。

ただ外に出ると、従業員は「顧客」になり、社長は客を「もてなす側」となる(=社長の昆虫化)

そして、客側は銀座のものを購入する事で、会社は潤う(=生態に従い飼育する)

銀座のものを買わない=会社にとっては顧客足りえないから、ニホンオオガネモチは懐かない。

最後のオチで、そんな解釈の余白が生まれ、思考をドンドン促される。

本編を観ている間よりも、あのオチを受けた後に考える時間の方が楽しかった。

良くも悪くも、解釈が思いついたもんの勝利。

 

メロディに乗せて

脳内に流れてくる音楽のジャンルに合った動きをしないと″死に至る″メロディ症候群の話。

本人がやりたくない感情表現でも、音楽が流れてきたら演技でもいいからやるしかない。

つまり、人間が音楽を利用するのではなく

人間が音楽によって感情を操作されている。

また、見ているシチュエーションは同じでも流れてくる音楽によって、見てる人の解釈が異なってしまう(=印象を操作される)展開等、

音楽を身近に聞ける様になった我々にも通ずる様なテーマ性の広げ方としては面白い。

ただこれ実際観てみると分かりやすいのですが、思ってる以上に実写ドラマとして観た時の茶番感、シリアスとして見せているんだろうけどギャグにしか見えないちぐはぐ感が強く、視聴感としては一番酷い出来になっていた気が。(設定が突飛過ぎて実写ドラマ向きでは無かったのか?)

そんなイマイチ見せ方が定まらないカオスな本編が話としてオチる訳もなく、最後は本編の舞台にストーリーテラーを登場させる事で、無理矢理繋ぎ(=メタって)、次のお話へ移行する強引なラスト然り、何ともう~んな作品。

 

 

電話をしてるフリ

普通にいい話。

それ以上でもそれ以下でも無かったです。

 

総括

テーマとしては面白く興味引かれるものがあったが、単純にストーリーとして観た時に著しく破綻してるお話が多過ぎる。果たして″物語仕様にする意味″とは?