なゆーのテキトーブログ

普段はTwitter(@oxygen60499747)より感想兼考察を投稿していますが140字では抑えきれなかったリアルでは言えないアニメへの想いをひたすら綴るブログとなっております。自分が感じた事を上手く言語化出来るように善処します。

2021春アニメ個人的総括、感想

※あくまでも私個人の印象です。予めご了承を。

  [目次]

 

S評価(今季覇権)

Vivy-Fluotite Eye's Song-

『感情と理屈の相互作用』

先の読めぬ展開にインパクトのある引き。

タイムリープを行う100年もの膨大な時間を簡潔に、且つ劇的に纏め上げるSFとしての面白さ。

その中で渦巻く機械らしき「合理さ」と人らしい「情」が織り成すコンフリクト=ドラマとしての面白さ。

特に第1話~第6話に関しては今季ぶっちぎりのクオリティ。

「幸せ」とは何か、そして「心」とは何か。

それが分からぬ限り果たす事の出来ない使命の完遂。では、それを如何にすれば成せるか。いわば、そういったAI達による模索行動が、対象への情や想い入れに繋がっていく

物語の根幹としては、何も持たぬ無の状態では自立出来ないAIという存在に、抽象的な使命を与え、その本質を汲取ろうと模索する過程で、彼女達の中に使命への何らかの感情が芽生える。そういった元々の機械から、人たらしめる感情発現までの過程に何も理屈としての違和感を感じさせなかったのが地味に凄い。

だからこそ、その情を良しとしないシンギュラリティ計画完遂の使命を負うマツモトとディーバとの衝突。この理性と感情との矛盾に序盤から心掴まれるし、これら話の主体が全てAIの中だけで巻き起こっているという今まであるようでなかった作劇。

 AIであっても、よりよい使命完遂の為に模索する姿(何回言うんだw)はまさしく人間そのもの。

そういったAI達の「心」を滲み出させる演出や脚本が秀逸だった。

 

オッドタクシー

『コント×ミステリーの先駆け』

単話としての爆発力なら他作品に劣るものはあるが、

1クール通しての構成力なら今季ピカイチに優れた作品。

可愛らしい動物達の見た目に反し、実にエッジが効いたリアリティのある人間さながらの会話劇。てか、まんま人間。

この動物×人臭さのミスマッチこそ今作第1の色。

そんな会話劇の立役者は何といっても、タクシードライバーである今作の主人公、小戸川によるツッコミであろう。

毎度入れ替わり立ち替わりに乗ってくる乗客の語りに対し、皮肉屋で捻くれた彼の辛辣で、且つちょい喰い気味なツッコミのテンポとワードセンスが決して狙う事なく、平然と自然体のままぶち込まれる。会話の何気ないテンポと、そんな小戸川のキャラ性を主体とした掛け合い模様には初回でクセになった。

また、その最中で確かに散りばめられていく伏線。それらが複数のキャラクターの視点を通じて、時に細かく、時に大がかりに回収されていくサスペンス、群像劇としての面白さもあった。

第1話では、SNS投稿にはまる樺沢というキャラクターがフォロワーからの反応欲しさにタクシー内で小戸川と行った写真撮影、検問にて胡散臭い警官が追っているという指名手配犯、そして清掃員のバイトをしている柿花という男。初回ではこの3組の動向が連鎖し合って1つの本筋(テーマ性)に繋がっていく。

そんな個々のルートと物語との合致が目まぐるしくて途中から目が離せなくなる。また、その個々のルートで掘り下げられるキャラクター達の過去、それが妙に人間としての闇を喰ったリアルさがあって。身震いしつつも引込まれた。

 ベースの面白味である掛け合い模様のド安定さ、そして長い目で見た時のフックも十二分に用意されていて全く飽きさせなかった。あ、あとホモサピエンスのラジオも好きでした笑。

 

A評価(良作)

フルーツバスケット The Final

『呪縛からの解放、そして旅立ちの物語』

5クールに渡り描いてきたシリーズの終着。

脚本という不安定な要素で毎話泣かせてくるのが凄すぎます。

今作について何も言う事はありません。(てか言及が出来ない...)

最高にハートフルな物語をありがとうございました。

そしてお疲れ様でした。

 

不滅のあなたへ(第1クール目)

『真に迫る人生ドラマ』

主人公(フシ)を取り巻くゲストキャラクター達の人生。

孤独の中で楽園を夢見る少年、子供から大人へなりたい少女、障害者としてのアイデンティティを獲得していく少年。主人公のフシと行動を共にするキャラクター達に待ち受ける過酷な運命。それに対して彼等は何を思い、何を受け取り、選択をするのか。そんな地に足をつけた内面描写、人間描写が秀逸

今作は極めて「人間」というものを切実に描いている。

その人の良い面だけではなく、弱みや幼さというものまで赤裸々に映してくるからこそ、画面に中で生きる彼等の成長や変化には心から感情移入し、涙する事が出来る。

まぁ、最初は言葉を話せぬ石同然の存在だったフシの成長の方も一応描かれてはいるものの、感情獲得の過程や言語を話し出すタイミングは割と唐突で、半ばご都合的な存在だった事は否めない。されど彼がいなければゲストキャラクター達の人生も成り立たない訳で。いわば形式上では物語の主役であるが、実質的には引き立たせ役。彼を通して、ゲストキャラクター達のストーリーはより輝きを増していたと思う。

何度も号泣させられました。

 

 シャドーハウス

 『影と人形、それぞれの形』

徹底的に御陰様と生き人形を同一化させている組。

対し、全くこの2人が各々個として確立している組。

生き人形と御陰様の立ち位置が逆転している組、など

・主であれど”影”そのものである「シャドー」

・人形であれど”人間”そのものである「生き人形」

今作の最たる面白さは、対となっているこれら2人の主従関係を複数見比べる事にあるのではと感じた。

・全身影で覆われたシャドーには「無い」もの。

・対し、人間そのものである生き人形には「有る」もの。

それを如何に主が補おうとするのか、前者が後者をどう見なしているのか、そして如何に両者が寄り添っていくのか

これだけでも全く異なる主従関係の多様さがまぁ観てて面白い。

また、シャドー家が求める生き人形、御陰様の在り方。

一番謎が多くミステリアスな存在の意図が見えない分、今の彼等の在り方がシャドー家の掲げる意向からすると「是」なのか「非」なのか。関係性が多用な分、そのどれかは「非」とされてしまうのではないか?という緊張感もつきまとう。特に中盤ではお披露目といういわばふるい落としイベントが用意されている分、そこの差異を考察するのも実に楽しかった。

そして中盤以降のお披露目では、今まで各々の主従関係の在り方がオムニバス形式で別個に進行していたのが、ここで初めて本格的に生き人形&御陰様同士が対面し、交流を深めていく。そこで従来の主従関係が如何に動いていくのか、にも必見。

勿論、ストーリーとしての流れはあるものの、観る側の視点としては最初から最後まで変わらない面白味を味わえるし+エミリコがとにかく可愛い!!そんな作品でした。

 

ましろのおと

『音』

まず、三味線の弾き然り、そこに乗せる歌声然り、キャラクターによって弾く指遣いを変えた作画面を以てしても、演奏シーンには終始圧巻させられた。ここだけでも盛り上がり所の確固たる”華”として十分過ぎる役割を果たしてくれた。

また、 「音」というたったその1つのテーマをここまで細かく、深く掘り下げ展開させたストーリー面も良かった。

亡き祖父が奏でる「音」と自分自身の持つ「音」の間で苦悩する主人公に「継承」という聞き手視点の評価を以て雪の在り方を指し示す春暁のお話や、評価する人だったり状況によって音の評価が異なる厳しさを突きつけられる大会シーン等、最終的に主人公である雪に変化を促す「音」というテーマ性の描きが見事。

第1話と第12話の構成に違和感こそ感じたものの、一貫された本筋の描き自体には文句無しです。第2期で梅子をぶっとばせ!

 

スーパーカブ

『上質過ぎる趣味獲得(カブ)アニメ』

今までは何気なく流していた日常風景への認識、これまで「耐え抜いていた」ものを「追い抜かせる」ようになった事の爽快感など、1人の無趣味だった女の子が、興味の有るものを見出した時の心情変化や主体的な成長への推移が巧く描かれていた。

また、その進歩が、いつも食べてるおかずがこのスーパーだと安値で買える!といった小さな発見=等身大な描きも良い。

また、同じカブ乗りでも色々と楽しみ方が違う。でも、だからこそ、その趣向同士が微笑ましい色染めの攻防や、新しいカブ論の発見に繋がったり、喜びを伝えたくても伝えられないすれ違いだったりと決して共感し合うだけではない同志でありながら「好き」の在り方が異ならせる関係性というのも、どこか男らしく、趣味を嗜む者としての芯をくっている気もして。良き笑。

ただ中盤では、あくまでも趣味を持つ立場という広い括りにおいて理解し易かった序盤の展開に比べ、良くも悪くも割とディープ寄りなバイク好きに特化した話題へと移った事で、無知な私には読み取り難い箇所があったのも事実。(未だにカブで富士登頂させたい礼子の趣向には共感出来ない部分があります....)

また、表現の自由とはなんぞやとばかりのニケツ問題等、望まぬ形で世間から日の目を浴びる時もありましたが、そんな中でも、趣味への「好き」が溢れた3人のカブ道、引いては趣味へ嗜む姿勢におおいに共感しつつ和める。そんな作品でした。

 

SSSS.DYNAZENON

『これぞ、現代版特撮アニメ』

まず誠に偏った趣向ながら、自分は俗に言う特撮モノが大の苦手で...。前作のグリッドマン然り、そして今回のダイナゼノンに対しても。どれも何十年前に流行ったロボットモノの戦闘シーンを、全くそのコンテンツを知らない人、ましてや、世代でもない自分が観て何が面白いのかと視聴前は思っていたし、特に想い入れも持てなかった。(ファンの皆様には申し訳ありません。)

ただ、今作はそんな特撮要素に「人間ドラマ」という初見勢、界隈外の人にも通ずる魅力が大きく加わっていたのが、良い意味で視聴継続の敷居を低くさせていたのが良かった。

主要キャラのほぼ全員が抱えている過去、そして現状への後悔。

端的に言うとその払拭に戦闘シーンを当てはめ、後者にシナリオ上の意味を持たせる事で2要素が見事に噛み合った作劇となり、特撮が苦手な自分でもこの作品だけで十分にアツくなれた。偏見かもしれませんが、特撮モノには縁遠い脚本面や日常パートにおける演出の魅力が詰まっていたと思う。特に第9話以降は必見。

又、日常シーンの中においても、決して誇張させる事なくクスッと笑いを誘う様なワードチョイスや間の使い方を用いた掛け合いも、終始視聴モチベに繋がる面白味を放っていた。

 

東京リベンジャーズ(第1クール目)

『二足?俺達は一足のわらじでやったらぁ!』

個人的には今季トップクラスに好きな作品。

表面上では「ヤンキーモノ×タイムリープモノ」を謳っている本作だが、第12話までの段階では、前者の面白さが大部分を占めていた。のにも関わらず良作の括りにさせて頂きました。それ程、申し分ないヤンキーのカッコ良さに満ち溢れていたと思う。

個人的に今クールにおけるタイムリープ要素は、あくまでも今作の最たる魅力を描く為(=主人公が過去に向かう手段止まり)のお膳立てに過ぎないのでは?と感じてしまった。

確かに、主人公が過去を変えたとしても、根本的なバッドエンドは変えられなかった、それはどうしてだ!?という単話の引きとして活きる事はあれど核心の部分はまだ2クール目の内容次第ですし、如何にして日向死亡の未来を変えていくのか、という過程の面で主人公は未来の情報を効果的に駆使する事も、実年齢大人としての常識的な振る舞いをする事もない。それが泥臭い彼らしさだとは思うが、そのキャラクター性が故に、タイムリープモノ本来のロジカルチックな強みが活きなかった事は否めない。

唯一その強みが出たのは第10話くらいだったのではないか。「これが二度目の人生、リベンジなんだ」←嘗てのトラウマに立ち向かう弱虫な主人公を奮い立たせたこの台詞はタイムリープ要素が無ければ出てこないし、彼が宿敵に向かっていくには必要な原動力といえる。第2クール目では、こういった臆病な感情を論理要らずの勇気で敵に抗っていく快進撃、タイムリープモノとしての合理的な解決法が他にあったとしても、第10話みたく拳を以て敵を征す流れに納得出来る様な展開をもっと観たいです!

ただ、そんな今クールに関してはマイナスとなってしまった要素を優に払拭させるヤンキーモノとしてのカッコ良さにはとにかく酔いしれた。何故拳を以て戦うのか、その確固たる理由を以て戦うマイキーの生き様だったり、戦うべき時以外では手を決して出さない線引き意識、ヤンキー世界と常人世界の区別をした上で組織の長として被害者に頭を下げる姿勢など、人として筋を通す行動の数々には胸が熱くなった。マイキーとドラケンに乾杯。

 

 

恋と呼ぶには気持ち悪い

『突飛な設定から綺麗なストーリーへの昇華』

複数の女性と体の関係を持ちまくる不埒な成人男性、天草亮がJKである有馬一花に一目惚れをしてしまうという取っ掛かり。

そんな女性の扱いに慣れた彼からの積極的過ぎるアプローチに一花にドン引きし、頑なにいなし続ける→懲りずに攻め続けるという気持ち悪さ全開コメディとしての面白さ。

序盤は十分設定の部分で魅力があった。

 ただそこに今作は留まらず、亮の妹視点を交えた兄の過去回想や、恋仇を通した一花の恋心の目覚めなど、他キャラクターを間接的に展開に絡める事で、元の設定や、そこから発展した三角関係に進展や改善へと促すストーリーへと昇華。これが巧い。

ラストには年の差恋愛という亮&一花の前に立ち塞がる壁に踏み込むシリアス展開など、中盤以降は冒頭での面白味に加え、丁寧なキャラ掘りと恋愛ストーリーが無難に面白かった。

コメディとシリアスを行き来しながらも決して軽くなり過ぎず重くなり過ぎない作風で、観易い1クール作品でした。

 

美少年探偵団

『落としの美しさ』

美少年、というストライクゾーンから大きく外れた響きからして申し訳ながら当初は1話切り安定の作品になっていた今作(苦笑)

だがそれ以上に物語シリーズを彷彿とさせる言葉遊びの巧みさ、延いては西尾維新さんイズムを隅々まで感じた作品。

「女性ではなく、乙女だから」「平凡ではなく、平均」etc.......

この様に、ニュアンスが絶妙に異なるワードを並べたて、否定し、最後に的を射た言い回しで落とすといった多用な言葉遣い脚本がどのパートにも刺さりまくっていて。

これが全編通し、本編(本筋)を締める上での秀逸な落とし所にも、日常シーンにおけるコメディにも、そのどちらにも機能していたという点で終始抜かりの無い面白味を持たせていた。

又、その芸術点が一見成立し得ない事象をも説明付けてしまうミステリーモノとしての爽快感にも繋がっているのが、ある種物語シリーズには無い今作の魅力なのかなと。

故に、たとえオチが待たれる2~3話完結の物語ペースでも、日常シーンの部分だけで十分に楽しむ事が出来た。

(続)←これは第2期が待たれます。

 

 

 

憂国のモリアーティ(第2クール目)

『”宿敵”、から”友”へ』

1クール目では犯罪卿とホームズ、前者の境遇を描きながら、互いに正体が分からぬ同士による腹の探り合いがメインで描かれ、

今回の2クール目ではお互い正体に何となく察しがついている。だが、それ故に失速するのではなく、むしろ駆け引きのギアを上げてきたのが今作の凄い所。

互いの正体が透過されたからこそ、天才相当の相手の実力を見込み、自分の大切なものを託す事が出来る。今クールでは第三陣営となる敵等を通して、ホームズとモリアーティが宿敵から唯一対等の実力で語り合える友へと歩み寄っていく。敵と信頼の間で揺れ、真の目的を果たす為には協力を仰ぐしかないんだと。ここの関係性の変化が実にアツかった。

1クール目から犯罪卿の仕組んだ事件を解決していく中で、やがて犯罪卿の正体だけではなく、彼の目的が「腐敗した貴族社会の転覆」にあると気がつくホームズ。

この時点でホームズはモリアーティの事を同じ天才としてだけではなく、人間としても彼を認めたというのが良いですね。

そして最終話、

今までの罪、悪を背負い、自らの死を以て貴族と平民の垣根を越えた理想の世界を作ろうとするモリアーティ。

いわばコードギアスR2におけるルルーシュ(ゼロ)のよう。だがその作品と異なる点は世界を変える為に悪役を担った者に対等たる理解者がいたという事。自決を図るモリアーティの元に探偵としてではなく友として駆けつけるホームズの説得。

以降の劇的な展開にはグッと来ました。

モリアーティが犯罪卿として成した貴族と平民の歩み寄り、「残された者」であるルイス達のこれから、そしてシャーロック・ホームズシリーズにおいて、モリアーティが何故極悪人として描かれているのか?という回収までしてくれ文句無しの最後でした!

細かい演出面もビンビンに決まっていたと思います。

 

灼熱カバディ

『新鮮×王道』

未知なるスポーツの掘り下げ×各人物にスポットを当てた超克

どちらかが欠けても作品として成立しない。

これらの二足のわらじが終始両立されていたのが良かった。

個人戦にもチーム戦にも化け得るといったカバディ特有の競技性を終始映し出しながら、そこにサッカーからカバディに転身した主人公の苦悩や、才能を持たざる側である部長の境遇を仄めかしていき、それらのモヤモヤが実際の試合シーンで、即ちカバディのルールを活かしきった上で浄化されていくストーリーとしての爽快感、これらの絡ませ方が巧かった。

マイナー競技を布教させたいが為に今作があるだけではなく、しっかり物語の方にも魅力を感じられるしアツくなれる、そんなwin-winな作品に仕上がっていたと思う。

 

 

B評価(普通作)

ゾンビランドガリベンジ

『アイドルモノとして or 第1期の続編として観るか』

年を取らない故に、なりたい大人になれない儚さ。

「壊れた」体と「壊れぬ」絆との対比。

「命」がない存在故に、『命』歌えし者に夢を託す構図。

「死」した野心家と、「生」の可能性との対比など。

ゾンビという性質を持つフランシュシュの面々だからこそ、様々な面白い構図を持たせられるのは今作ならではの強み。

それが前期同様に観られた事は良かった。

ただ、第1期と比較して半ばストーリーの質よりも、ライブパートの方がメインになってしまっていた事、もっと言えばライブシーンで話の粗を誤魔化そうとしていたパートが個人的には見受けられてしまった事など、アイドルアニメにシフトし過ぎたが故の良い所と悪い所が浮かび上がってしまっていた点は否めない...

 

 

エイティシックス(第1クール目)

『今季屈指の”演出”アニメ』

今作がやりたい事はきちんと描ききっているとは思う。

だがその色が必ずしも面白さに繋がるとは限らない

今作を一言で表すとこんな感じでしょうか。

確かに主人公であるミリーゼが自身の偽善っぷりを突きつけられるまでは面白い。つまり、本題に入る前ですね。

如何に彼女の抱く理想が夢物語であるのか、如何に無謀なのか。

そして86の「死」に対して如何に彼女が無知であるのか。

そんな86達との距離感を身近な小道具を用いて仄めかしてくるメタファーが秀逸だった。時に86の「死」を散る「花」に見立て、戦場で流れる「血」をシュークリームの「シュー」に見立て、ミリーゼの掲げる理想論に対する「疑念」をミリーゼの服の装飾品が外れる動きに当てはめる等して、これらをアルバパートと86パートの隔絶された2視点を以て散りばめていく

故にミリーゼは一切気付かない。口では散々理想論を掲げる傍らで、壮絶な86達の実情には一切目が入らない。そんな皮肉描写がとても良い味を出していた。

だが、そこから本題、つまりミリーゼが86の実情を知り、歩み寄ろうとする段階に入った時のストーリーのあっさり感というか馴れ合い感が個人的には味気なかった。例えば第5話にて、感情的に言い放ったミリーゼへの突き放しを影で反省していて、半ばツンデレ気味に、罪悪感故にミリーゼを受け入れていくというセオトリッカのキャラ造形からしても、今まで散々アルバに差別を受けているキャラクターにしては少し甘めな作劇なのかなと。元々の題材、世界観の割には物語が薄く感じられた。

又、差別を受けている86側の心持ちに関しても良くも悪くも入り込めない所が多く。例えば「屑に屑な事されたからといって復讐しに行くのは同じ穴の狢になってしまう。だから己の生き様に恥じぬよう最後まで戦い続ける」という、戦に対する負の感情が後日談の如く取っ払われた86達に人間味がないと感じてしまった。

何でしょう....こういう思考はあくまでもゴール、結果的に行き着く所なのであって、大事なのはそこまでにどういう思いを重ね、どういう苦しみ、仲間との日々を味わってきたのか、という積み重ねがあって初めて納得出来る思考というもの。しかし、そんな過程を省き、結果を切り取って見せ場とするにはいささか綺麗過ぎる。作品の形としてアリだとは思うが、題材特有の抉みだったり悪意に欠けていて、キャラクターに感情移入する事は最後まで出来なかった。実際に86達の「死」に対しても、彼等をさほど掘り下げる事なく至らせるので、衝撃や感動というものもなく、実質「死」だけを切り抜いたお涙頂戴状態になっていた気も....

そういった作風が自分には合わなかった。

劇伴と主題歌に関しては最高でした!!

 

 

 いじらないで長瀞さん

『イジメ?否、これはイジりである!』

Mっ気の方御用達特殊性癖アニメと思う事無かれ。

一見すると、一部の人の趣向にしか刺さらない様なヒロインの属性と萌えシチュ。だがそれらを誰が観てもカワイイ!と思わせてくれる様に調整されていた実に良心的な作品だったと思う。

たとえ褐色ギャル属性でも可愛く見せる事は出来るんだ!という作者さんからの意思を勝手に感じ取っていました笑。

初対面から先輩の弱みや陰キャ性をこれでもかと突き、半ば嘲笑気味な表情で指摘していく中でも、時折やり過ぎてしまっていないか長瀞さん側が気に掛ける描写から、先輩が嘗て本気で虐められていた幼少期での体験と対比させ、「悪くないな」と先輩自身の意思で長瀞さんからのイジりを許容する第1話。

この時点で長瀞さんの言動がイジメではなく、イジりなんだと確信出来、今作に対する敷居が良い意味で低くなった様な気がする。イジメに対する不快感は見事に払拭。

第2話以降も焦りを連想させる汗や動揺、照れ等を用いて長瀞さんの先輩イジりをイジメにさせない配慮がしっかりされていて、同時に長瀞さんの優しい人柄と可愛さを終始演出。

第1話ではイジメの象徴だった取り巻きのギャル達も、後の回で彼女達の干渉を長瀞さんが止める(=先輩をイジって良いのは私だけという独占欲の表れ?)展開で長瀞さんの可愛さを引き立てる側に一役買っていたし、最終的には2人の仲を良い意味で進展へと促す良キャラになっていた点も昇華のさせ方が巧いなと。

中盤こそは長瀞さんがデレて終わるオチが一貫されていたせいで、若干マンネリ化していたのは否めないが、終盤の文化祭編からガラリと話が動き出し、実質告白の様な絵のモデル申請や夫婦の様なイジりイジられ問答がとにかく微笑ましかった。

1クール通してしっかり長瀞さんというキャラクターの魅力を享受出来る作品でした。萌えは無限大ですね。

 

MARSRED

『確かに力は感じた』

俗に言う雰囲気アニメ止まりだったのは否めない。

ただ、その中でもヴァンパイアと人間との恋路がストーリーに落とし込まれた時の演出面は秀逸でした。

 主に記号を用いた間接的な見せ方。たとえキャラクターの掘り下げがなくとも、演出だけでその人物の状況や心理面を効果的に表す力を特に序盤にはひしひしと感じた。

他にも、 永久の命を持つヴァンパイアと有限の命を持つ人間が故に、共に「生」を添い遂げられない恋人の儚さや、日光が浴びる事が出来ない&人とは違う存在故の「日陰者」として生きるヴァンパイアだからこそ見出せる演劇(虚構)の価値だったりと、今作が描きたかったテーマ性、それを伝える脚本力やドラマ性には惚れ惚れする所もありました。

ただその要素がどうも局地的だったといいますか.....。その良さが終始通して感じられなかったのが1クール作品としては出力不足とも感じてしまったのが残念なポイント。

中盤(主に山上さんパート以降)に関しては、複数のキャラクターの視点がごっちゃごちゃで、その単体の視点が結果的に何を見せたいのかがイマイチ分からず、それらがリンクする事もなく淡々と進んでいくので、(単なる読み取り不足というのもあるかもですが)個人的には今作の良い所を汲取る事が出来なかった。

 

転スラ日記

『転スラファンには堪らない至高のキャラアニメ』

まず個人的に今作は、転スラ本編を観てる方でないと、その面白味を完全に享受出来ないとは思う。

まぁ昔ながらの日本の四季、そこに適した楽しみ方や風流など、子供の頃にやった事や見た事はあるけど、案外、現代日本では中々味わえない様な古風の日常風景に和むという楽しみ方でいえば、『転スラ』を知らない方でも完走出来たのかもしれない。

ですが、今作はあくまで『転スラ』という作品のスピンオフ。

今まで、本編の中で中心に描かれてきたストーリーや本筋が今作には一切ないからこそ、そこだけではどうしても陽の当たらなかったキャラクター達の別の一面にフォーカスする余裕が生まれる。実際リムルに救われて彼の仲間になって以降はさほど出番がない様なキャラもいたので、そんな彼等の魅力的な色を発揮させてくれる良い機会になってくれたとつくづく思う。(出番があったとて半ば舞台装置になっているキャラもいたので....)

兄妹であり親子でもある様なベニマルと我等がシュナ様との掛け合い模様や、本編でもおなじみゴブ太&ハクロウによる師弟コント、また主であるリムルからの寵愛を巡って喧嘩するシオンやランガのやり取りなど、その他大勢のキャラ達の動向が描かれ、本編を通して誰かしらのキャラに愛着を持った方であれば、より一層理解を深められ、発展した国の平穏ぶりと四季の色にクスッと笑いが零れ癒やされる、そんな全12話でした。

特に自分がキャラアニメとして今作が素晴らしいと思ったのは、本編中でリムルに救われたキャラ達の後日談たる動向がしっかり観られた事。とりわけ、オークロードのボスであるゲルドとゴブリンキッズとのふれあいには何度も涙させられましたね。何故ゲルドは今作中であんなに農業へ勤しんでいたのか、そして何故第8話にて、同族に見立てた置物に食べ物を供えたのか、第1期で彼の境遇を観てる方であればグッと来る事でしょう。

本作の第1期でキャラクターの境遇をリムルが救ってはい終わり!とするのではなく、その後の生き方まで寄り添って描いてくれた所に愛を感じた。

 

戦闘員、派遣します!

『このすば要素、半・減』

清々しいまでに悪事のスケールがしょうもない小悪党と、富と財に対する下心なら人一倍な守銭奴

そんな2人の屑キャラ達によるお前が言うな系コント。+αアリスたんの辛辣ツッコミ

これが今作一番の観所であり、個人的に笑えたポイント。

片方が己の欲望をおおっぴろげにして暴走する様を、もう片方が若干引いた様子で咎める。この構図に対して、「いやツッコんでる側も人の事いえんだろ」と笑。そう被せる様に第三者であるアリスたん(ないしは我々視聴者)による第二のツッコミが入る。

この一連の3人コントがこのすばにおけるカズマとアクアを彷彿とさせる様な面白さがあった。

ただ、良くも悪くもそこしかコメディとしての笑いが無かったのが残念でした。その原因は、他主要キャラである「ロゼ」と「グリム」にあるのかなと。

彼女達もキャラとしての素材は十分ですし(『このすば』にもめぐみんという純情おバカキャラはいますし)、専用回もあったのにも関わらず、それらを上記級の笑いに変換出来ていなかった印象。もっと振り切って欲しかった......

また、話の展開としても、六号達が地球からのスパイだとスノウにバレる所から変にシリアス調な作劇になったり、ロゼの過去話など、今作のジャンルにそぐわない(結果的に笑いへ昇華出来ていない)回がいくつかあって。総合的に見ると、今作の強みがうかがえる回とそうでない回、このブレが激しかった印象。

あ、ちなみにカワイイ系異常性癖トラ男さんはイイキャラしてました笑。

 

C評価(凡作)

擾乱

『キメきれないもどかしさ』

実に惜し過ぎる作品。

第1章:雪村咲羽視点、中村浅陽視点に渡る二重の復讐劇。仮初めだと気付いた姉妹による家族愛の描き。

第2章:逃れられぬ過去の呪縛

第3章:真の黒幕との対峙。

どの章でも毎度盛り上げに足る要素、これからどうなっていくんだ!?と引きを持たせるストーリー然り、キメ回までの上げ方は良いのに、肝心のキメる回の所をキメきれないもどかしさ。これを終始感じていた。本筋達成のあっけなさや「え?そこそんなんで終わらせるの?」「いや生きとるんかーい!」といったイマイチ附に落ちない締め方など、不完全燃焼の募る形が多かった印象。本当に各章起・承・転までは良いんですよ。

例えば第3章に関しても、二重の復讐劇の決着を、徳川政権打倒を以た葛原の「死」と咲羽の「生」を構図的に対比させながら綺麗に締めていくのかな、と思いながら観ていたら、無事に戦いを終え、帰路につく咲羽の後ろから突然何者かに毒針(?)みたいなのに刺されて、よろよろと生き延びながら浅陽との会話の中で死に絶えるという終わり方。←いや何があった?誰が殺した?そもそも葛原の願いはどこにいったん?彼にも同情出来る余地はあったではないかとツッコミたい。そしてCパートで数年が経ち17才となった浅陽に姉の人外めいた力が継承され、幕は閉じる。←う~ん...アリにはアリだけど浅陽視点その力というのは姉を不幸に招いた存在。それを姉が生きていた証などとして肯定的に捉えさせてくれる様な展開の1つや2つ見せて欲しかった。惜しい。

また、今作の舞台が、徳川政権下でありながらまるで文明開化さながらの要素が垣間見える異郷、まるで江戸×明治の世を掛け合わせた様な世界観には興味惹かれた。慶喜に部下達が謁見するシーンで観られた様式和と洋の対比など、もっと掘り下げれば深みが増す素材があるのに、それを十分に活かせていない印象も。

 

 

フルダイブ

『コメディとシリアス、ボタンの掛け違い』

まずコメディ要素について。

ゲームなのに痛覚がある、本来あるべきチュートリアルが無い、失敗してもやり直しが利かない(=ゲームオーバーするとゲームハードがぶっ壊れるというクソ仕様)

こ、こんなのリアル同然じゃないかぁぁぁぁぁぁぁ(ツッコミ)

以上が今作の最たる”お笑い”としている所。

そう、このコメディはいわば出オチのようなもの。第1話時点ではこのコメディ要素だけで観応えこそあったが、早々にして天丼状態となり飽きが回ってくる。そこで肝となってくるのが主人公の声を務められていた山下大輝さんのアフレコ。時に上ずり、かすらせ、抑揚を効かせる等して、声だけで幅を効かせた山下さんの迫真たる全力ツッコミが個人的にはハマってて、全12話もの話数を通して爆笑出来る声あてをしていらっしゃった。いわば今作のコメディ要素を支える大黒柱の如く活躍をされていた(何様)

次にシリアス要素について。

上記で語った通り、今作はアフレコの魅力はあれど、とてもではないがコメディ要素だけで話は回らない。

そこで話数が進む度に浮かび上がってくる1つの本筋、それは

「現実世界におけるトラウマに背を向ける主人公ヒロの成長譚

・フルダイブRPG内で巻き起こる様々な理不尽たる災難

・現実世界における中学時代のトラウマの記憶

天丼気味になっていくコメディ展開の中で、今までどの失敗にも向き合う事なく、感情任せにあたり、人や環境のせいにしながら目を逸らし続けているという主人公像が明らかになっていく。

それを観ながら、「あれ?それじゃあ今作は前者のゲーム視点と後者における現実視点が徐々にリンクしながら、主人公がトラウマを乗り越えていく展開になるのではないか?」という物語としての期待が我々視点出来るようになる。

ゲーム×現実。これら2要素の開示によって最終的な今作の落とし所(本筋)を鮮明にさせた。これさえ出来てしまえば及第点の〆となるのでは?そういう訳で私は最終話まで視聴を継続した次第。

結論、別段リンクが無い訳ではなかった。

ただ活かしきれていてもいなかった印象。

ゲーム初っぱなで親友を殺した過ちと向き合い、和解する第6話に関しても現実世界におけるトラウマと繋げる訳でもなかったし、最終話に関してもラスボスと対峙してこの場合にのみヒロは克服するだろうという限定的で中途半端な落とし所にも残念。

また、中盤~終盤に関してはそのリンク展開が一筋の期待だったのにも関わらず、それを匂わせる様なシリアスな雰囲気を突然ギャグに転換させるといったすれ違いも起きていて=需要と供給が一致していなかったというのもあって視聴が苦しい場面も...。

ツンデレの中にブラコン味を見え隠れさせる妹ちゃんこそ、大変大義であったものの、ストーリーとしては正直肩透かしに近いラストでしたね...申し訳ないです。

 

バクテン!

『体操アニメ、というよりはキャラアニメ』

良かった所はありました。

それは、今作の本筋と思われる「憧れは繋がっている」というテーマ性が、終始一貫されて描かれていたという事。

まず主人公である双葉翔太郎は第1話にてアオ高(略称)新体操部のバク転を見て。そしてその部員2人は選手時代の監督のバク転を見て、そしてライバル校であるシロ高(略称)新体操部の部員は、幼少期にアオ高の良夜のバク転を見たその時の憧憬故に新体操への道を志している。このバクテンへの憧れというのが主要キャラの間で共通して繋がっているという相関図。

そしてその関係性を第11話にて、怪我を負ってる状態でも僕は先輩達(=自分を新体操の道を志す切っ掛けくれた方達)と共に演技をしたいんだ!という翔太郎の切実さに繋げる第1話のフリ回収は面白かった。ただ1クールだけ活かされるのがそれだけ?という意見も否めません...

今作を面白い!と言えたのはこのくらいでしょうか。

残りは、良くも悪くもキャラアニメ的な作風

実家であるまかぼこ屋を宣伝してくるキャプテンや、盆栽好きやアイドル好き、任侠映画好きなキャラクターなど、とりあえず色がある設定を投入してそのキャラ同士でワチャワチャさせましょうよ、的な作品の方向性を途中から物凄く感じた。

最初こそ楽しかったが、最後まで見てもそのキャラ達の色がコメディとしての笑いや微笑ましさにしか繋がらないというのが物足りなかった。何故好きなの?そしてその趣味が体操にどう結びついてくるの?といった更なる掘り下げがされずに、表面的なワチャワチャした日常シーンが物語の中心になってしまった事が個人的には惜しく感じてしまった。

唯一色モノ設定であるアイドル好きと体操要素がリンクした女川掘り下げ回に関しては評価していますし、上記の様なワチャワチャした日常シーンが好きな方もいるでしょうが、そこは良くも悪くも作品の色。自分の感性ではそこが魅力的に映らなかった。

体操をやってない訳ではないし、練習もやってない訳ではない。

ただ、そういったスポ根としての「熱さ」や話としての「面白さ」よりも、中途半端なクセを持ったキャラ同士のかけ算の方が印象強くなってしまう、そんな作品でした。

 

セブンナイツ

『王道要素を活かすも殺すも作品次第』

・何者にもなれぬネモにとっての英雄像の模索

・コミュニケーションの取れぬ英雄との歩み寄り。

ボーイミーツガールの如くヒロインに命を救われ、英雄学校(?)に編入する第1話から、同級生の抱く英雄像の矛盾を突き敵との共闘を通じて親睦を深める第2話、そしてまたしても自身の英雄としての生き方に蝕まれる同級生のピンチをネモが救う第3話。

何も持たぬまま力だけを与えられた主人公が、相手の英雄像への”否定”を通して自身の英雄像、即ち受動的な在り方から固有の生き方を見出していく物語。王道仕立てながらも、否定という今作独自の要素を踏まえつつ、最終的に描きたい事(物語の根幹)が第3話まででしっかりと見えたのが好感でした。こういう良くも悪くも無難な作風は割と好みが分かれるジャンルとは思うのですが、自分の感性ではアリだと思っていた。

ただ、上記の本筋に対して、第5話あたり以降そこから外れたストーリー運びが個人的には目に余ってしまった。今作は回の最後でネモに理想の英雄像を得る為の何かしらの影響を与えて初めて話が締まるというのに、それをする事なくただ小物キャラが無残な死を遂げてしまったり、大してフックのない敵の正体に迫っていく、いわば王道に縋りきった展開が続き、弛れていった。”否定”という今作独自の要素も薄れてしまったのも残念。ピュシス?この世界を守りたい?そんな中身のない王道展開が続く。

ただ第11話にして、これらの弛み展開の意味がようやく分かる。

我々が今まで敵と見なしていたピュシスという黒幕が実は学園内にいて、ネモも又ピュシスだったんだ!という事。ここで初めて第1話~第3話までの内容と一本の線で繋がる。

何も持たぬネモ少年というのは即ち、ピュシスという人成らざる者だったという事。これはそんな彼が仲間や人の温かさを通じて、新しい生き方を見出す物語なんだと。

ただ、それは怪物と人間、どちらの在り方にもなれないという事。怪物として生まれ、人として育ってきたネモがどのような生き方を出すのか。

序盤で仄めかされてた話の全貌が最後の最後で回収される流れ。

最終話ではきちんとその結論は出るし、その他キャラの苦悩も払拭される。

1クール中、頭と尻を以て本題達成された事自体は良かった。

ただ、何度もいうように如何せん中盤が辛かった。個人的には中盤は話として面白い!というよりも、如何にネモを人成らざる者(ピュシス)として学園に周知させるか、黒幕の正体開示を如何に自然に持って行くか、といったどれも第11話に向けての繋ぎの役割だったのかなと。故に今作としての強みが薄かったし、もっというと化身みたいな英雄要素いる!?とも感じた。冒頭と結末だけで十分根幹の部分は果たされていた様な印象。

 

D評価(駄作)

さよなら、私のクラマー

『”君嘘”の皮を被った悪ふざけ』

プレーする環境や同志がどうしても少ない女子サッカーの世知辛さを題材とし、その中でも中学時代で懸命に努力を重ねたキャラクター同士の繋がり(救済)ルーパスの授受を以て描かれる。それが高校生パートで成される第1話~3話の演出。

今作の良かった点は個人的にここだけではないでしょうか...。

それ以降に関しては一切シリアスに振ったキメの回を用意する訳でもなく、ひたすら『君嘘』のコメディ要素の使い所を履き違えまくったおふざけ展開の連続。大して練習する訳でもなく、むしろユニフォーム作りの方に現を抜かし、試合前夜にはろくに睡眠を取らず、試合中に集中を切らすエース。にも関わらず、何故か予選大会を勝ち進んでいくというご都合展開の嵐にうんざり。

結局、シリアスとコメディのバランスが第4話以降は1:9(体感)くらいになってしまい、第1話~第3話で観たかったものが全くといっていい程、観られなかったのが残念。

コメディ=悪ふざけとみなされても否めない作劇となっていた。

また、基本的に才能のある恩田、周防、曽志崎の3人にしか話のスポットが当たらないのもどうかと。チームスポーツでありながらキャプテンにさえ一切合切活躍の場がない。折角第1話~第3話で才能ある者を救済したのにも関わらず、以降はそれを鼻にかけるかの様に、彼女達のみによる3人サッカーが続く。

試合中のピンチも全て気分屋たる恩田の個人技によって何とかなってしまう。そんな驕り展開の何に惹かれるというのか。最早、残りの8人は、才能ある者を引き立たせる為の舞台装置、いやそれ以下の役回りになっていた印象でした。

 

ひげひろ

『生理的に受け付けぬヒロイン像』

感情的なサブタイトルで申し訳ないです。ただ最終話を観終わった直後の率直な感想はこれに尽きてしまった。そう思わせてしまうほどこの物語には家出少女、沙優の成長が十分に描かれていない。故にツッコミ所満載の軽薄な作劇になってしまったのかと。

まず主観ながら、前提として自分がこの作品に求めていた事は、折角犯罪行為を100歩譲って許容出来る、そんな虚構の世界だからこそ成せる(警察に保護して貰うなどの形式的な対応では成せなかった)家出少女の”心”に迫った救済劇。ここの流れは最低限順を追って詰めた上で物語を形成して欲しかった。

そこに基づいた上で綴ると、特に気になったのは今作の本題に取っ掛かるまでの異常な遅さ。沙優が何故家出に至ったのか、それまでにどのような苦悩を味わってきたのか、そんな彼女のバックボーンが序盤~中盤まで若干ほどしか描かれていない。唯一の仄めかしはたった1シーンの吐き気のみ。それ故に、彼女の中で家出した切っ掛けが本当に同情たり得るものなのか、もっといえば本当に被害者立場なのかさえも分からない。その状態で救いはおろか、第1話で吉田が「もっと自分の事を大切にしろ!」と言ったのにも関わらず、別段する必要のない素の状態でも、吉田を前に服を脱ぎ出す彼女の幼さにはイライラさせられる。

経緯が不鮮明な家出をしてから、動機が見えぬまま何故か自分の価値を下げ続けるヒロイン像に対して、冗談でも善意で拾って貰った男性に、その気を起こさせる様な行動を繰り返すのは流石に被害者としての立場に甘んじた子供のよう。この子は更生する気がないんだな....とつくづく感じてしまった。

この状態で後輩、上司視点の恋模様や成長の見られない沙優に何故か芽生えつつある恋心、あの手この手を変えて沙優の過去話を引き延ばしにしようとしていた様ですが、そういう脇道は本筋が遂行されて初めて許される展開。それがされていない状態下で脇道に逸れるのは物語として悠長過ぎる。吉田と沙優のラブコメ展開なぞもってのほか。そんなのやってる暇あるのか?と。

それからというもの、沙優を迎えに来たお兄さんを悪者扱いする流れや母の精神状態など、満を持して描かれた過去回想含め、沙優を露骨に悲劇のヒロインとする勧善懲悪な設定の極端さが個人的にはどうも受け付けなかった。

親友が自殺したのは自分のせいから始まって親にも元凶を疑われ家出。体を売り家を転々としてずっと自分の価値を下げ続けていた所で吉田と出会い、自分を肯定出来るようになっていくという流れ。終わってみればお話としてやりたい事は分かったし、吉田という犯罪者紛いの人物だからこそ成せる同類であるヤリチン男の撃退など良い回もあるのだが、肝心の沙優に本気で入り込む事が出来ず、ラストでも体の関係を以て吉田への告白とする場面からも彼女の本質というのは変わっていないと思ってしまった。

 

 

おさまけ

『中途半端な崩壊三昧』

作画の崩壊、脚本の崩壊、シナリオの崩壊。唯一残った属性としての可愛さもアフレコ頼りでろくに出す事が出来ない。かといってどれかの粗が振り切る事が少ない故に、ネタアニメとしても楽しみ辛い。つまり「面白さ」でいうと今季ぶっちぎりの最下位です。マトモに観られたのは第11話のBパートくらいでしょうか。

後は、身内しか笑えない様な中学生ばりの上滑りした掛け合いのノリと、大人に反抗する行為がひたすらにカッコ良いと勘違いしたガキ臭いキメ(と思われる)のシーン。とても作品らしさとは言い難い痛々しさを醸し出してくる。せめて中高時代に今作に触れられていれば印象も違ったのでしょうが、今観るのは......

また、独白というよりも説明でしかないご丁寧な脚本面も終始問題で。あの時こんな事があって、その時こんな思いで今に至りました←そんなキャラクター達の内面を全部吐露させながら基本的に話が進んでいく。表現が直接的過ぎて、キャラクターとしての繊細さに欠ける。言いたくない事もあっただろうに。

見せ方としても実に単調だったと思います。